以下の文章は、月刊『世界』2012年8月号に掲載された、
稲葉剛「生活保護バッシングは何を見失っているか」より
一部を抜粋・修正したものです。
2013年5月17日に閣議決定された生活保護法「改正法案」には、
親族の扶養義務強化が盛り込まれました。
改めて、扶養義務問題について問題提起をするために掲載させていただきます。
「改正法案」の問題点については、
生活保護問題対策全国会議の緊急声明と関連資料もご覧ください。
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扶養義務強化が福祉現場に与える影響(稲葉剛)
「貧困の連鎖防止」に逆行
実際に生活保護の扶養義務が強化された場合、福祉現場にどのような影響が出るか、考えたい。
今回の芸能人のケースでは、「高額所得者の子どもと生活困窮者の親」という組み合わせだった。だが、貧困の連鎖が拡大している現代の日本社会では、こうした組み合わせの家族は数少ないと考えられる。
私が所属しているNPOの生活相談窓口には、年間八百人を超える方々が相談に来る。その約三割が三〇代以下の若年層であり、多くの場合、彼ら彼女らの親も生活に困窮しているという実態がある。通常、裕福な親がいれば、生活に困窮したら実家に戻るという選択肢を選ぶことができるからだ(親が高額所得者であるにもかかわらず、実家に戻れない場合は、親による虐待が存在していることが多い)。
また、大阪府堺市が二〇〇六年に実施した調査では生活保護世帯の世帯主の四人に一人が生活保護世帯の出身であったことが明らかになっている。この背景には、たとえば給付型の奨学金制度が貧弱であるために、貧困家庭出身の子どもが受けられる教育の機会が限定されてしまうことがあげられる。
このように階層が固定化されつつある社会では、貧困家庭の出身者が高額所得者になる道はかなり限定されることになる。その数少ない道の一つが「芸能人になる」という選択肢だった。お笑い芸人の中に貧困家庭出身であることを「ネタ」にする人が多いのも誇張だけではないだろう。
自民党や一部週刊誌は次から次に芸能人親族の生活保護受給をやり玉にあげているが、それはある意味、芸能界特有の現象と言えるかもしれない。このようなレアケースをもとに制度改定の議論をすることの危険性はすでに多くの識者によって指摘されているが、私は同時に、扶養義務の強化という方針は国がめざす「貧困の連鎖防止」という政策理念に真っ向から矛盾しているという点を指摘したい。
厚生労働省は「貧困の連鎖防止」をめざして、生活保護世帯の子どもたちに対する教育支援に力を入れている。すでに埼玉県などでは行政と民間団体が連携をして、生活保護世帯の子どもを対象とする学習支援が実施されており、一般家庭と比較して一割程度低かった高校進学率を上げることに成功している。今後はこの実践を全国に広げていく予定だ。
学習支援が強化されれば、将来にわたって貧困家庭の出身者が高額所得者になる道も広がっていくかもしれない(ただし、生活保護世帯の子どもたちに大学進学の道は事実上閉ざされている)。しかし、親族の扶養義務が強化されれば、子どもたちは独立した後も親の扶養という重荷を背負うことになってしまう。子どもたちが巣立った後、高齢になった親たちが生活保護から抜ける可能性は非常に低いからだ。
裕福な家庭に育った子どもには免除される義務が、生活保護世帯の子どもたちには親が亡くなるまで課せられる。このような社会を公平と言えるだろうか。
障がい者や引きこもりの若者の自立を阻害
障がい者の子どもに対する親の扶養義務が強調されてしまうと、「障がい者は親が亡くなるまで親に扶養してもらえ」というプレッシャーが強まってしまう。障がい者の自立生活運動を進めてきたDPI(障がい者インターナショナル)日本会議は障がい者の地域自立に重要な役割を果たしてきた生活保護制度が改悪しまうと障がい者の地域自立に大きな打撃になると指摘。厚生労働省の障がい者制度改革推進会議・総合福祉部会の骨格提言(二〇一一年八月)にも盛り込まれた「家族福祉からの脱却」という理念にも逆行とするとして、扶養義務強化に反対する緊急アピールを採択している。
引きこもりや不登校の問題がきっかけとなって二〇〇九年に成立した子ども・若者育成支援推進法においても、「子ども・若者が社会生活を円滑に営むことができるようにするための支援」を家庭のみに任せきりにするのではなく、社会全体で担っていこうと理念が語られている。
私が関わった相談事例でも、長年引きこもっていた若者がホームレス状態になり、生活保護を利用して自立したケースがいくつかある。扶養義務が強化されると、こうした若者たちに「実家に戻れ」という圧力が強まることになるが、こうした若者たちの自立にとって必要なことは、親からの経済的な援助ではなく、空間的・精神的に一人になれる環境であることが多い。生活保護をいったん利用して、親との経済的な関係を切ることにより、逆に親との間に適度な距離が生まれて親子関係が良好になることもあるのだ。そうした親からの精神的な支援が経済的な自立を促し、継続させる力になっている例もある。
親子関係に限らず、経済的な援助を行政から強要されることは逆に親族関係を悪化させる危険性が高い。従来の運用でも、「きょうだいに扶養照会が行ったために疎遠になった」という例が出ている。こうした点も無視してはならない。
DV・虐待被害者に大きなダメージ
DV被害者が生活保護を申請した場合、厚生労働省は二次被害を避けるため、加害者である扶養義務者への直接的な扶養照会をおこなわず、関連機関等への照会でとどめるように通知を出している。しかし実際には福祉事務所の担当者から「離婚が成立していないから配偶者に連絡させてもらう」と言われたために生活保護申請をあきらめざるをえなかったり、申請後に実際に連絡をされてしまい、居住地域が特定されてしまった事例が存在している。親子間や兄弟姉妹間の虐待の場合は、福祉事務所の運用により連絡を控えるケースもあるが、私たち支援団体が申請者に同行して親族に連絡をしないよう強く要請しても、福祉事務所が連絡をしてしまうケースもある。
現状ですら、このような二次被害が発生しているのだから、扶養義務が強化されると更に被害は拡大してしまうだろう。私が最も恐れている事態は、制度改悪がなされた場合、そのことをニュース等で知った被害者たちが役所の窓口に相談に行く気力を剥奪され、助かる命が助からなくなってしまうことだ。
以上見てきたように、社会福祉の現場を少しでも知っている者であれば、今回の制度改定の動きがいかに非現実的で、現場に混乱をもたらすものであるかはわかるだろう。それは社会から貧困や暴力、人権侵害をなくすため、個々の現場で積み重ねてきた実践の成果を無に帰そうとするものである。扶養義務強化によって多くの社会問題が一層深刻化するのだ。
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