東京新聞(2012.7.4)に板橋・簡易宿泊所火災に関する記事が掲載

投稿日時 2012-07-07 01:24:32 | カテゴリ: 報道記事

記事のPDFはこちらからご覧になれます。
PDF版には、〈もやい〉の稲葉剛のコメントも掲載されています。
 
 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012070402000110.html
 

「生活保護のつらさ 分かち合えた」
板橋宿泊所火災1カ月で元居住者

 
 
 生活保護受給者が生活していた東京都板橋区の簡易宿泊所「ふじや旅館」
で、経営者と入居者が死亡した火災から一カ月が過ぎた。今年三月まで
一年七カ月間、旅館で暮らした男性(63)は、胸を締め付けられるよう
な思いでいる。「生活保護を受けなければならないつらさを、入居者と
分かち合えた大切な居場所を失ってしまった」
(堀祐太郎)
 
 現場は今も焦げ臭い。焼けた衣類が散らばり、むき出しのすすけた柱が
惨状を示す。献花に訪れた男性は、焼け跡のガレージで灰をかぶった赤い
ワゴン車を指さした。「これに乗って、ふじやに来たんだよな」。記憶が
一挙によみがえり、大粒の涙がこぼれた。
 
 中学を卒業して青森県から上京。日雇いの建設作業員として現場を渡り
歩いたが、二〇一〇年六月に心筋梗塞で倒れた。健康保険も年金もない。
医療費はすべて実費となり、区の福祉事務所に駆け込んだ。「建物が古く
てあまりお勧めできないけど」と、職員はふじや旅館を紹介した。
 
 生活保護収入を狙って狭い所に大人数を押し込む業者もある。でも、経営者
の羽田隆英さん(54)は違った。その日のうちに車で迎えに来て、買い物を
手伝ってくれた。
 
 良い思い出しかない。カツ丼を作ってくれ、酒を酌み交わした。居住者たち
は体を壊すなどして生活保護を受けている人ばかり。「みじめだな」「病気が
治ってここから出られたら…」。それぞれの思いを明かすと、つらさが和らいだ。
 
 あくまでも定住先が決まるまでの一時避難で、入居は三カ月限定の約束
だった。しかし、区は退去を迫らず、一年七カ月も暮らした。区は火災後
の会見で「職員を定期的に派遣し、施設環境は常に把握していた」と説明し
たが、男性は「ほとんど来たことはなかった」と語る。
 
 入居希望者は後を絶たなかった。男性は今年三月での退去を決め、区から
紹介されたワンルームマンションに移った。その後も、羽田さんらに会いに
旅館を訪ねた。「早く体が良くなるといいね」と、火災前日にも声を掛けら
れた。その直後の悲劇。男性は今も現実感がわかないという。
 
 同じ境遇の仲間と別れての独り暮らし。体調が悪く身寄りのない男性には、
孤独死への不安がつきまとう。「一時しのぎのように旅館に泊まり続けては
いけないことは分かっている。でも、同じ境遇の仲間や羽田さんにみとられ
て死ねれば良かったな」。本音がポツリとこぼれた。
 
 
 
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