「生きてきてよかった」と感じられるつながりを! 稲葉剛
投稿日時 2008-2-24 12:03:56 | トピック: 発表資料
| 『部落解放』2008年3月号 「生きてきてよかった」と感じられるつながりを! 稲葉剛
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「生きてきてよかった」と感じられるつながりを! 稲葉剛(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい代表理事)
■「こもれび荘」にたどり着く人々 JR飯田橋駅から歩いて約12分、東京23区の「へそ」に近い位置に、私たち<もやい>の活動拠点「こもれび荘」がある。築四十年を超える古い一軒家だ。 「こもれび荘」を開設して三年半。これまでここをめざしてやって来た生活困窮者は二千人を超える。アパートの連帯保証人が見つからない「ホームレス状況」の人たち、所持金が百円を切って交番で交通費を借りて生活の相談に来た人たち。千葉から自転車を9時間こいでたどり着いた若者や、北海道からフェリーに乗り、茨城県大洗の港から10日間野宿しながら歩いてきた若者もいた。 ここにいると、日本社会に「貧困」が広がっていることが否応なくわかる。バブル経済崩壊後、路上生活という究極の貧困状態に陥ったのは主として中高年の男性であったが、最近は10代から70代までの老若男女が生活の相談に訪れており、単身者だけでなく夫婦や親子など家族ぐるみの相談も増えている。もはやかつてのように、地縁・血縁や企業共同体が人々の暮らしを支えきれなくなっているのだ。 私たちは相談に来られた方の話を聴き、緊急的な援助をおこないながら、行政による適切な支援を求めて役所に一緒に足を運ぶ。ほとんどの場合、生活の困窮は極限状態にまで達しているので、生活保護の申請を行なうことになるが、これには役所側の抵抗も大きい。だが、生活に困窮した当事者が申請の意思を固め、法律に則った運用を書面で求めることにより、役所側の抵抗は最小限に抑えることができている。ご本人が定まった住居がなく、ホームレス状況にある場合は私たち自身が連帯保証人となって、アパートへの入居の支援をおこなっている。 住まいを確保し、最低限の生活の保障を手に入れる。「こもれび荘」に来られた人が最低限、「これで死なないで済む」と思えるための生活の基盤作りを支援する。それが私たちの活動の柱である。
■「寂しさ」と向き合うために しかし、「生きる」ことと「生存」は同義ではない。かつて、私たちの活動に参加していた50代の男性、Kさんは私にこう語ったことがある。 「毎日、朝起きるのがつらくて、寝たままテレビを見ていると、なんか外の世界と自分がつながっている感覚がなくなってくるんだよね。自分がエイリアンにでもなって、外から世界を眺めているような感じになる」 Kさんは難病と闘いながら生活保護を受け、居宅生活を維持していた。自宅と病院の往復で終わる日々。彼はその単調な生活で感じる「寂しさ」をよく口にしていたが、彼の語る「寂しさ」は彼個人だけのものではなく、生活保護や年金で暮らす生活困窮者一般に共通する悩みを彼が代表して語ってくれているのだと私は感じていた。 最低限の生活が保障されれば、それでハッピーエンドではない。長い人生の中で失ってきた「人とのつながり」をもう一度回復できるような場所を作ること。生存を存続させるだけではなく、「生きてきてよかった」と思えるようなつながりを作っていくこと。それが私たちの活動のもう一つの柱になった。 そのためにも寂しがりやのKさんの言葉は大変参考になった。「気軽にふらっと遊びに行けるような場所が欲しい」と、彼は常々言っていたのである。 Kさんのそうした思いは、多くの人に飛び火し、2004年6月、「こもれび荘」開設に伴い、私たちは交流サロン「サロン・ド・カフェこもれび」を開店した。土曜日だけ営業する小さなカフェである。メニューはコーヒー一杯百円、週代わりランチが三百円。いずれも生活困窮者が気軽に来れるようにと、Kさんを始めとする当事者スタッフが設定した価格である。 だが、Kさん自身は開店から一年ほどしてサロンには顔を見せなくなり、翌年、誰にも看取られずにこの世を去った。Kさんの訃報を聞いた時、私は「自分は病死するに違いない」という思いに日々直面していたKさんの「寂しさ」に自分たちは向かい合えなかったのだ、ということを痛感せざるをえなかった。
■コーヒーを通した新たなつながり その後、新しいスタッフも入り、交流サロンでは「ここに集まった仲間と共に何かを生み出したい」という想いが沸き立っていた。2005年12月、「サロン・ド・カフェこもれび」は民間の助成金を活用して、コーヒー焙煎プロジェクトという新たなプロジェクトを発進させる。東ティモールを支援する日本のNGOと連携して、フェアトレード(民衆交易)の仕組みで購入したコーヒーの生豆を自分たちで焙煎し、販売しようという計画である。そこには、ものづくりを通して「つながり」をさらに強固なものにしていきたいという希望と、国内の貧困問題とグローバルな南北問題をコーヒー豆という具体的な商品を通してリンクさせていこうという野心とが交錯していた。 プロジェクトは、アジア太平洋資料センター(PARC)のスタッフを招聘して、東ティモールの歴史と現状を学習することからスタートした。その後、実際に生豆を購入して、慣れない焙煎機を使いながら試飲を重ね、味の探求を進めていった。そして2007年1月、ようやく独自ブレンドが完成し、「こもれびコーヒー」の販売を始めることができたのである。 コーヒー焙煎プロジェクトも、交流サロンと同じく路上生活を経験した当事者が中心となって事業を進めていった。月に二回のミーティングから始め、それが週に一回、二〜三日に一回と密度が濃くなるにつれて、当事者スタッフの意識も変わってきた。 かつて喫茶店のマスターを務めたこともあり、独自ブレンドの開発の要となったMさんはこう語っている。 「ここで始めたコーヒー焙煎を通じて親しい仲間ができた。今まで人と接するのが苦手だったけど、ここに来てコーヒーをしながら(苦手意識が)取れてきた」 また心臓の疾患を抱えながらプロジェクトを引っ張るHさんはこう言う。 「みんななりたくてホームレスになったんじゃないし、なりたくて生保受給者になったんじゃない。みんなちゃんと仕事してきて、どっかでちょっとした拍子につまずいて、身動き取れなくなっちゃって。ホームレスなんてやりたくないと思うから、みんななんかにすがりついて、自立してきてるわけじゃん。(コーヒー焙煎をとおして)そういう人がもう一歩進めるような状態になれば、すっげーいいと思う。」 現在、「こもれびコーヒー」は、「こもれびブレンド」と「東ティモールストレート」の二種類を販売(各700円、送料別)。コーヒーの鮮度を保つため、完全受注生産をおこなっているが、固定ファンも増えており、月産で二百数十袋を販売している。 2007年4月からはコーヒー焙煎に加えて、コーヒー豆の製造過程で出るコーヒーの煎れカスや欠損豆を使ってコーヒー染めを作るというプロジェクトも始まった。こちらは初心者でも気軽に参加できる作業なので、もう一つの居場所として人が集まってきている。 私たちの次の目標は、「死」という人生の最後のステージにおける支援に着手することだ。「無縁仏」になることを寂しく思っている人はたくさんいる。合同墓の設立や心温まる「お見送り」の工夫など、「最後の安心」が今を生きる力になるような支援を考えていきたい。 また<もやい>の中では、ドメスティックバイオレンスなど過酷な時期を経験してきた女性たちによる集まりや、今の社会に「生きがたさ」を感じる若者たちのグループも生まれてきている。後者のリーダーを務めているのは前述の北海道から来た若者だ。さまざまな人々が呼びかけて、いくつもの輪を作ることで、全体としてゆるやかなつながりを作っていきたい。 人間はひとりで生まれて、ひとりで死ぬと言われる。Kさんがみんなを代表して語っていた「寂しさ」に肉薄していく試みは、究極的には全て徒労に終わるのかもしれない。それでも、「こもれび荘」にたどり着いた人たちが、「今、生きてきてよかったと感じる」と思えるようなつながりを求めて、これからも試行錯誤を続けていきたいと思っている。
*「こもれびコーヒー」購入ご希望の方は、Eメール[email protected] 、またはFAX03−3266−5748にご連絡いただくか、ホームページhttp://www.moyai.netをご覧ください。
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