朝日新聞2009年01月30日付け朝刊に「「生活保護、なお窓口が壁に」生活保護運用に関する記事」」が掲載されました。
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読売新聞2009年01月24日付け朝刊に「結の墓・身寄りのない人に死後の安心」が掲載されました。
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生活保護相談者を「たらい回し」 伊東→熱海→小田原
http://www.asahi.com/national/update/0128/TKY200901280322.html
2009年1月29日10時0分
生活保護を受けようと役所を訪れた相談者に対し、住民票がないことを理由に他の自治体に行くように仕向けたとして、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいは28日、静岡県伊東、熱海両市に「生活困窮者のたらい回しをやめて」と書面で抗議した。
もやいによると、横浜市内のタクシー会社に勤めていた男性(61)は住まいを失い、22日夜、知人を頼って伊東市にJRの電車で向かった。伊東駅に着いたものの、所持金が120円しかなく、運賃の精算をできずに困っていたところを警察に保護された。
警察官に「市役所の福祉課で相談を」と促され、翌朝、伊東市役所に行った。社会福祉課で「所持金が120円しかない」と訴えたが、「住民票がないと相談にのれない」と言われた。隣の熱海市役所に相談するようにと、JRの回数券切符を渡された。
熱海市役所でも同様の対応を受け、神奈川県小田原市までの回数券切符を渡された。「小田原市役所に行くんですか。市役所を渡り歩くんですか」と聞くと、「そのような対応になります」との答えが返ってきたという。
男性は、派遣村の事務局に電話で相談。スタッフに付き添ってもらい都内の福祉事務所で生活保護を申請し、受理された。
もやいの稲葉剛理事長は、「生活困窮者に隣の自治体までの切符を渡すというのは、悪質なたらい回し。生活保護申請の意思を確認せず、聞き取りすらしなかったのは、行政の責任放棄だ」と話す。
伊東市役所は「旅費がないとのことで、生活保護の申請とは聞いていない。警察からも、旅費ということで連絡を受けた」としている。
朝日新聞2009年1月20日付け朝刊で「派遣村」についての記事が掲載されました
貧弱な雇用の安全網 派遣村から見えた課題 支援施設、全国でも9自治体
東京・日比谷公園で年末年始に開かれた「年越し派遣村」は、「派遣切り」などで職と住まいを失い、困窮する人たちの姿を浮かび上がらせた。政治や行政を動かし、失業者らの自立を支援した派遣村の活動から見えてきたのは、セーフティーネットにおけるさまざまな課題だった。
東海地方で唯一、ホームレスの自立支援センターがある名古屋市。「派遣切り」で職と住まいを失った愛知県や周辺地域の人たちが、同市になだれを打って駆け込んでいる。
自立支援センターなどの一時保護施設は、すでにパンク。市は臨時にカプセルホテルなどを確保してきたが、受け入れ人数が700人に迫った13日、新たな宿の確保を打ち切った。一時は行き場を失い、区役所のロビーで毛布にくるまる人もいた。
北海道出身の男性(40)はハローワークで緊急貸し付けを申し込んだが「難しい」と言われ区役所に飛び込んだ。「就労はこっち、福祉はあっちで行ったり来たり。1カ所でできないのか」と疲れた表情で話した。
市は「相談者がこれほど多いと、一自治体が対応できるレベルを超えている」と訴える。
名古屋だけではない。自立支援センターがあるのは全国で9自治体。昨年12月中旬時点で、うち6自治体が「ほぼ満杯」(厚生労働省)の状況だった。
一方、労組や市民団体で実行委員会をつくる年越し派遣村。年末年始に集まった約500人の失業者らに、行政は手厚い対応を見せた。テント村からあふれた人たちに厚労省は講堂を開放。その後、東京都や中央区は、廃校になった小学校など都内4施設を提供した。「緊急小口資金」の要件を緩和し、都社会福祉協議会が約260人に1万〜5万円を貸し付け、それぞれの施設に就労、住宅、生活保護の相談を1カ所でできる「ワンストップサービス」の窓口も設けた。
大量の失業者が路上に放り出されていることを厚労省の足元で目に見える形にしたことで、政治も行政も動かざるを得なかった。だが、その対応は「派遣村」だけにとどまっている。
●乏しい資金支援策、生活保護頼み
派遣村の約280人が生活保護を申請した。実行委員会は「生活保護以外に利用できる制度がなかった」と話す。雇用保険に加入していれば失業手当を受け取れる。だが、「1年以上の雇用見込み」という要件を満たせないなどの理由で加入できない非正社員が多い。ハローワークへの交通費すらない失業者には当座の資金が必要だが、保証人不要の社協の緊急小口貸し付けは「火災での被災」など要件が限られている。政府が緊急に設けた「就職安定資金融資」は住居を先に見つけるのが条件だ。
「頼みの綱」の生活保護だが、財政上の理由などから自治体の対応にはばらつきがある。派遣村では資産や親族の調査結果を待たずに、数日で保護費が支給された。都は「緊急性が高い場合は、こういった対応はあり得る」とするが「住所がないからだめ」などと窓口で違法に追い返される例は後を絶たない。申請から決定は原則14日以内と定められているが、それ以上に時間がかかることもある。
昨年12月15日。派遣会社を突然解雇され、寮を追われて野宿に追い込まれた元派遣社員の50代男性が、大津市に生活保護を申請した。しかし、保護決定の知らせがあったのは、申請から22日後の1月6日。保護費が支給されたのは、その3日後だった。
申請後、職探しの命綱である携帯電話料金を支払うと所持金はほぼ尽きた。NPO法人「大津夜まわりの会」が確保したアパートで、市の窓口で借りた1万円をやりくりしながら決定を待った。年末年始の食事はスーパーのセールで買ったおにぎりや支援者の差し入れの缶詰など。一日も早く定職を見つけたかったが、面接に行く交通費がなかった。同NPOの小坂時子理事長はため息をつく。「同じ国の同じ制度で、これだけ差があるのはどういうことなのか」
19日、派遣村実行委は厚労省に「派遣村での行政対応を、全国で当たり前にすべきだ」として、総合相談窓口のある緊急避難所の設置を求めた。村長の湯浅誠・自立生活サポートセンターもやい事務局長は言う。「低賃金で働いて貯蓄のない人たちが失業すると、簡単に貧困化してしまう。生活保護の手前に、再就職に向けて活動できる、つなぎの仕組みが必要だ」
◆安全網、かなり多重に用意
江利川毅・厚生労働事務次官 セーフティーネットはかなり多重に用意されている。派遣村には、解雇された後ネットカフェで持ち金を使い果たして来た人もいると聞く。解雇されるとわかった時に、早めにハローワークに来てほしい。事業主に掛け合うことや融資や住居の手配も出来る。基本的なことが活用されず、非常に残念だ。
派遣村については政治的な判断で早い対応が取られた。だが、どういう人たちが集まっていたかなど実態調査をすべきだ。派遣村の例だけでワンストップサービスが必要とは言えない。3月末に切られる人たちも今からハローワークに行けばカバーできる。雇用継続の要請、再就職の支援、雇用の創出などを組み合わせて対応していきたい。
◆公的支援の場、全国に必要
橘木俊詔・同志社大教授(労働経済学) 仕事と住まいを失い、助けを求める労働者は、地方にもたくさんいるはずだ。派遣村のような民間の活動には限界があり、国や自治体による支援の整備が求められる。「ここに来れば、居場所と就職のあっせんを受けられる」という公的な場が全国に必要だ。
また、非正規労働者が増える中、労働者は誰でも雇用保険を使えるようにすべきだ。加入要件を緩和する法改正が予定されるが、それでも漏れる労働者が出てしまう。納付と給付のバランスを保つために、短期間の加入者に対しては、失業給付ではなく、緊急の貸し付けをし、仕事が見つかった後に返済するようにすれば良いだろう。
■年越し派遣村の経緯
08年12月31日 厚労省近くの日比谷公園に開村。約100人が年を越す
09年 1月 2日 宿泊者が270人を突破。厚労省が省内の講堂を開放
5日 日比谷公園では閉村。期間中の登録者は約500人。このうち、約300人が都内の4施設へ移動
8日 生活保護支給決定開始。9日までに272人が認められる
13日 村民約170人が都内2カ所の旅館へ移動
19日 旅館の滞在者は75人に
■派遣村に来た人の内訳
派遣切りで仕事と住居を喪失 73人
不況の影響で失業(派遣以外) 70
日雇い派遣で仕事がなくなる 57
以前から野宿状態 33
生活保護が受けられない 9
その他 103
無回答 9
(派遣村実行委が354人に対する聞き取りからまとめた。「その他」には、仕事に関して不明確な人が含まれる)
生活防衛 生活保護 (上) ホームレスから脱出 相談に赴き道開ける
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2009010802000089.html
2009年1月8日
解雇された非正規雇用労働者が住まいも失ってホームレス状態になる事例が全国で大量に発生し、寒い冬が越せるかどうかの危機に直面している。こうした人たちの最後のセーフティーネット(安全網)が生活保護制度。「生き延びるために申請する」という人が急増している。
岐阜県内の古いアパートで六十一歳の男性が、ストーブに当たりながら涙ながらに語った。「本当に暖かい。皆さまのおかげです」
関西地方で住み込みの寮に入って建設関係の仕事をしていたが、仕事が減ったため昨年五月に郷里の岐阜県に戻った。所持金は少なく家族らにも頼れなかったので、まもなく野宿に。八月からは橋の下で暮らした。
食事はスーパーの売れ残り品や行楽客の捨てたもの。探しても探しても仕事はない。自殺も頭をよぎり、自殺予防の電話相談「いのちの電話」のダイヤルを回した。
転機は十二月十日ごろ。交番の警官が声をかけてくれた。「大丈夫か。今夜は四度まで気温が下がる。行政に相談したら」。さらに、拾った新聞に生活保護制度の解説記事が出ていて勇気づけられた。「ホームレスでも生活保護が受けられる」
自治体の担当部署に駆け込んだが、申請受け付けの担当者は「住所がないとだめ」と拒否。住所がなくても生活保護が受けられる道はあるはずだが、この役所では三回足を運んでも拒否された。アパートも探したが、敷金を用意できないなどの事情で無理だった。
最後に希望を託したのが、貧困問題に取り組む全国の人たちが十二月二十四日に行った「年越し電話相談会」。岐阜県では「ぎふ反貧困ネットワーク」が岐阜市内の法律事務所で実施することを新聞で知り、その事務所まで歩いた。このときの所持金はわずか五円。
「岐阜生活と健康を守る会」の森下満寿美事務局長らが親身に事情を聴き、男性とともに四度目の申し出のため役所へ。
森下さんらは、男性を市営住宅に入居させようと交渉したが、役所は「入居の要件を満たさない」と拒否。その日は平行線のままだったが、翌日に道が開けた。ネットワークのメンバーが、すぐに入居できるアパートを見つけたのだ。住所が確保できたので役所は生活保護を認めた。
生活費や家賃は生活保護で賄え、何より屋根の下で暮らせる。男性は「天国です」とつぶやいた。
× ×
憲法二五条の「生存権保障」に基づいて整備されているのが生活保護制度。資産や働く能力、親族による扶養などをすべて活用しても生活が成り立たない生活困窮世帯に、国や自治体の予算から生活保護費を支給する。国が定める最低生活費に満たない収入の世帯に、不足分を支給する仕組みで、自治体の担当窓口への申請が必要だ。この男性への月額支給額は家賃分が約三万円、生活費が約八万円程度。
昨年秋から急激に進んだ非正規雇用労働者の解雇によって、生活保護受給者が増えることは確実とみられる。派遣会社の寮を追い出されるなど、仕事と住まいを同時に失った人が多いからだ。
男性も頼った十二月二十四日の年越し電話相談会には相談電話が殺到。かかった電話は全国で一万九千八百八件で、つながったのは千七百件だった。そのうち約百件では、弁護士らが相談者に同行して自治体窓口に生活保護を申請した。
派遣切りなどで住まいと仕事を失った人たちに食料や寝場所などを提供するため労働団体などが昨年十二月三十一日から今年一月五日まで東京・日比谷公園に設置した「年越し派遣村」には約五百人が入村。このうち二百人以上が生活保護の申請をした。
生活防衛 生活保護(下) 申請は支援者と同行
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2009011502000088.html
2009年1月15日
「派遣切り」などで生活が困窮して生活保護を受けようとする人が急増しているが、役所側に申請をなかなか認めてもらえず、あきらめてしまう人も多い。こうした場合に効果的なのは、生活保護に詳しい支援者に同行を依頼することだ。「生き延びるための攻防戦」を乗り切るノウハウを考えてみた。
年明けから東京都千代田区役所や名古屋市中村区役所などで、生活保護を受けようとする人の波ができた。
注目されたのは、仕事と住まいを失った派遣労働者らを支援する東京・日比谷公園の「年越し派遣村」。駆け込んだ人のうち生活保護を希望した約二百八十人のほとんどに、受給決定が出た。派遣村の村長は「NPO法人自立生活サポートセンター・もやい」「反貧困ネットワーク」の事務局長を務める湯浅誠さん。
中部地方に住む五十代の男性Aさんも湯浅さんに救われた一人だ。複雑な家庭事情で二〇〇七年春、妻と幼い娘と一緒に急に近県に移った。所持金も多くなかったので住まいは自家用車の中。妻は何とか派遣社員の仕事を見つけたが、住所不定の男性は仕事を見つけるのがより困難で、Aさんは就職できなかった。
そこで、〇七年夏、車中生活していた市の生活保護課を訪ね「生活保護を受けたい」と申し出た。しかし、担当者は「住所がないと受け付けできない」と突っぱね、申請書も渡さなかった。「三、四回行ったのですが、同じでした」とAさん。
打開策を必死で模索。ネットカフェのパソコン検索で「もやい」を見つけた。早速、連絡して窮状を説明すると、湯浅さんが支援者を探してくれ、若手司法書士が手を挙げた。その司法書士が生活保護課に同行すると、担当者の対応が変わった。住所が決まっていないうちに申請書をくれたのだ。
その後、Aさんは家賃の安いアパートを自分で探して住所を確保。申請が認められた。家賃と生活費の分で月に十万円強の保護費をもらうことができた。Aさんは翌年春には仕事が見つかり、それからは生活保護を受けていない。
同行者なしで生活保護の申請窓口である自治体の福祉事務所や生活保護課を訪ねるとどのように大変か、湯浅さんは著書「あなたにもできる!本当に困った人のための生活保護申請マニュアル」で説明している。
担当者に「本当なの?」攻撃にさらされるという。「本当に生活に困っているの?」「本当に働くところがないの?」「本当にだれも援助してくれないの?」といった調子だ。
生活保護は、国が定める最低生活費より収入が少ない世帯に不足分を支給する制度。資産や働く能力などをフル活用しても生活が成り立たない世帯が対象だ。
そのため、担当者がチェックするのは当然だが、生活保護に詳しい法律家らは「担当者に事情をしっかり話せず、泣き寝入りを強いられている人が多いのが実態」と指摘する。
泣き寝入りを防ぐのが、窓口への支援者の同行。支援者が「本当なの?」攻撃に理路整然と対抗すると、担当者の態度が一変することが多いという。
ホームレス状態の人に対して「住所がないと生活保護は受けられない」と突き放す対応は多くの自治体に広がっている。民間アパートや生活保護施設を紹介するなどして住所を確保すれば生活保護が支給できるので、疑問のある対応だ。
生活保護の申請同行をしているのは、ホームレス支援団体、各地にある民間団体「生活と健康を守る会」、貧困問題に取り組んでいる地方議員など。二年前からは申請同行に積極的に取り組む弁護士や司法書士が全国で増え、法律家らによるネットワーク組織が各地にできた。
役所の担当者とのやりとりに自信がない人は、その地域のネットワークに電話するのが賢明。必要に応じて、手配を受けた法律家らが役所に同行してくれる。 (白井康彦)
生活保護を考える(上) 単身世帯の高齢者
http://www.chunichi.co.jp/article/living/life/CK2008032202097394.html
2008年3月22日
生活保護を受ける世帯が増えている。普通の生活から、突然貧しい生活に陥ることもある。高齢で働けなくなった、年金だけでは生活できない、離婚で母子家庭になった…。“最後のセーフティーネット”とされる生活保護制度の現状を探った。 (渡部穣)
「これまで一生懸命働いて、税金もきちんと納めてきたのに。どうしてこんなことになっちゃったのかな」。生活保護を受けて二年目の埼玉県内に住む男性(83)は独り言のようにつぶやいた。「楽しみは何もない。毎日どうやって生き延びるかという悩みだけです」
若いころに妻と離婚してから一人暮らし。七十五歳まで道路の工事現場で働いたが、景気悪化と高齢が重なり仕事がなくなった。それから五年後、貯金が底をつき、生活保護に助けを求めた。
男性の一カ月の生活保護費は約十一万円。家に風呂はなく、三、四日に一度銭湯に行く。洗濯機もない。光熱費や家賃などを差し引いた残り約三万円が食費に。「朝食を遅めにとって、一日二食に抑えている。とにかく惨めだ」
「十数年前に夫と死別して急に貧しくなった」という女性(80)も生活保護を受ける。居間のテレビは三十年前に買ったものだ。「もうちょっとお金があるとね。灯油が高くてストーブはほとんどつけないし、こたつも壊れたまま」とため息をつく。腰が悪くて外出できず、週一回デイサービスの介助で風呂に入るのが唯一の楽しみという。
生活保護受給者は一九九五年から毎年増加し二〇〇六年度は約百五十一万人(厚生労働省統計)。生活保護全世帯に占める六十五歳以上の高齢者世帯は47%(〇四年度)で、過去十年間で一・八倍になった。
前出の二人のような、生活保護の高齢者世帯に占める単身世帯は九割に上る。全日本民主医療機関連合会の〇七年調査では、その食費は半数以上が月三万円未満。うち23%が二万円未満という貧しさだ。国立社会保障・人口問題研究所は、二〇三〇年には七十五歳以上の単身高齢者世帯数は倍増すると見込んでいる。
備えがないと、老後の生活は苦しい。六十五歳以降に受け取れる老齢基礎年金は現在、満額でも月額約六万六千円。前出の男性は無年金だが「国民年金をもらっていたとしても少なすぎて、生活保護を受けることになっただろう」と話す。
生活保護基準と世帯収入の差額が生活保護費になるが、国は保護基準引き下げを検討している。「(年金などで生活する)低所得者層との均衡を図る」という理由だ。同じ理由で、国は〇六年、七十歳以上に支給していた月約一万五千−一万八千円の「老齢加算」を廃止した。
生活保護世帯を支援する市民団体「生活と健康を守る会」の幹部は「少なすぎる年金で生活する低所得者世帯と比べて、支給額を引き下げるのは“あべこべ”。長生きすることは罪なのか、国に問いたい」と憤る。
生活保護を受ける高齢者は、社会から孤立する傾向がある。生活保護を受ける後ろめたさに加え、金銭的な余裕がなく、人付き合いを避けるからだ。前出の男性は「外でお茶一杯を飲むのも懐が痛い。人を遠ざけるようになってしまった」。女性も「友人の葬式にも出られない。香典を出せないから」とつぶやいた。
「家にいれば電気代がかかるから」と、男性は天気の良い日は外出し、近くの公園で遊ぶ子どもたちを見ながら考える。「国に何とかしてほしいけど、老後を考えてこなかった自分も悪い。若い人たちには、厚生年金がある大きな企業に入りなさいよ、と言いたい」
信濃毎日新聞2008年12月24日付けに「社説:年の瀬に 助け合いに希望を見る」の記事が掲載されました。
http://www.shinmai.co.jp/news/20081224/KT081223ETI090001000022.htm
不況や紛争を伝えるニュースが、ひときわ胸に突き刺さる年の瀬となった。
大企業が相次いで大規模な人員削減に乗り出し、仕事や住まいを失う人々が急増している。「派遣切り」「雇い止め」。非情な言葉が新聞紙面にも載る。
海外からは、紛争やテロによる犠牲者のニュースがひっきりなしに報じられる。国の内外を問わず、出口の見えない重苦しい空気が社会を覆っている。
こんな時代だからこそ、思いやりが心にしみる。助け合いのメッセージを大切にくみとり、そこに希望を見いだしたい。
<貧困が広がる>
例えば、生活困窮者の支援を続けるNPO法人「自立生活サポートセンター・もやい」(東京都新宿)である。路上で暮らす人々を支える活動を中心に、2001年にスタートした。
03年ころからは、ネットカフェの若者たちから相談のメールが入りだした。「仕事がない」「住まいがない」。若者たちの深刻な訴えが相次ぐようになった。いまでは、相談者の層は10代から80代まで広がっている。
ここ2、3カ月は、大企業などの人員削減の影響で相談件数が増え、電話やメールも入れると月に100件近くに上る。
「仕事と住まいは、暮らしを支える車の両輪。これが両方とも壊れ、難民化が進んでいる。貧困が一般化した印象が強い」。代表理事の稲葉剛さんは、最近の変化をこう説明する。
住まいや職探しなどの相談にのったり、生活保護の申請を手伝ったり、と活動は幅広い。ボランティアを含めて20人ほどのスタッフが取り組んでいるが、手が回らない状態という。
<命を守る活動>
背景に、政府・与党の労働政策がある。派遣労働を原則自由化し、2004年には製造業にも広げた。非正規雇用の労働者は、いまや3人に1人だ。不安定な働き方を余儀なくされてきた人々を、不況の波が襲ったのだ。
稲葉さんは1969年の生まれ。母親が広島市で「入市被爆」をした体験から、大学時代に湾岸戦争に反対する運動に携わった。その後はホームレスの人たちの支援活動に身を投じ、仲間たちと「もやい」を設立した。
「もやい」には、船をつなぎとめる意味がある。荒波が来ても、きずなが強ければ難破しない。そんな思いを込めている。稲葉さんにとって、「反戦」も「反貧困」も、命を守るという点で同じことなのである。
「相談も増えたけれど、たくさんの人たちの協力も寄せられている」という。厳しい時代だが、つながり合う気持ちも広がっていると考えたい。
ことしはもう1つ、忘れてはならない若者の姿が心に残る。8月末、アフガニスタンで犠牲となった日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」(福岡市)のメンバー、伊藤和也さんだ。
ペシャワール会は、1984年からアフガニスタンなどで医療や農業支援を続けてきた。医師の中村哲さんをはじめ、スタッフの長年の地道な積み重ねが人々に支持され、信頼も厚い。
伊藤さんは静岡県の出身。高校や短大、米国滞在で身につけた農業技術を復興に生かしたいと、03年から現地に入って農業支援を続けてきた。
村人と一緒に干ばつの大地に用水路を造り、サツマイモやコメなどを栽培した。厳しい自然と戦争による荒廃に立ち向かい、展望が開けてきたところだっただけに、無念でならない。
「子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています」。伊藤さんがアフガン行きを志望したときの文章である。
<勇気をもらって>
先日、静岡県浜松市内で開かれた写真展、「大地に緑を アフガニスタンへの思い」を見た。伊藤さんやメンバーが撮った写真約50点が展示されていた。
屈託のない子どもたちの笑顔が、とりわけ鮮烈な印象を与える。「子どもたちが自然に集まってきたようです。信頼関係があってのことと聞きました」。母親の順子さんの言葉が胸に染みる。
「もうお会いできないと思うととても残念です」「写真や手紙を見るだけで、涙が出てきます」「日本人の誇りです」…。会場に置かれたノートには、そんな記述が目立つ。伊藤さんから、勇気をもらった人は多いだろう。
「もやい」や「ペシャワール会」は1つの例である。困窮者や紛争地の人々に対するさまざまな支援活動は、あちこちで広がりを見せている。政財界トップの言動の頼りなさとは裏腹に、人々の分かち合いの精神には、確かな手応えがある。
小さなことの積み重ねが、状況を変える力になると信じて、年の瀬を迎えたいと思う。
電話相談会の報道が各紙より流れました。
朝日新聞ウェブ版(埼玉)2008年12月26日付けに「仕事や家失った人の電話相談」の記事が掲載されました。
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000812260002
仕事や住まいを失った人たちに「明るい年越しを」と、民間の支援者らが24日、県内をはじめ、全国各地で無料電話相談会を開いたところ、ひっきりなしに電話が鳴るほど相談が殺到した。25日には、相談をきっかけに住まいを見つけ、新たな一歩を踏み出した元派遣社員の姿もみられた。
◇窮状訴え400件越す
電話相談は反貧困ネットワーク(代表・宇都宮健児弁護士)など16団体が全国の20カ所で実施した。電話代のかからないフリーダイヤルで、24日午前10時スタート。さいたま市浦和区の埼玉総合法律事務所では、実施した各地のなかで最も多い10回線を使って、弁護士ら専門家が相談を受けた。相談は25日午前0時まで続き、400件を超えた。
一方、全国の相談件数は25日時点の集計で1690件。実際にかかってきた電話は16690本もあったが、回線がフル回転状態で、つながった電話は1割だけだった。離職者らの厳しい状況が改めて浮き彫りになった。
県内からの相談では、派遣契約を切られて退寮を迫られていたり、すでに寮を出されたが行き場がない、といった相談が目立った。「派遣で日産ディーゼル工業で働いていた人からの相談も複数あった。所持金がなくフリーダイヤルだからかけられたという人も何人もいた。所持金が70円やゼロの人もいた」と弁護士は状況の深刻さを指摘する。
県外のケースでは、52歳の男性は静岡県の大手自動車メーカーに3年間派遣で勤務したが、19日で契約を切られ、27日に寮を出るように言われているという。広島県内からは、夫婦ともに派遣社員で、契約期間中なのに契約を打ち切られようとしているがどうしたらいいかという相談もあった。
◇「帰る家できた」 解雇の男性、支援者が手助け
「これでゆっくり、のびのびと眠れる」。契約途中で派遣元から解雇を告げられ、寮を出た男性(44)は、電話相談をきっかけに生活保護を申請し、しばらくの間住むアパートが決まった。「年末年始、帰る家ができてよかった」と胸をなで下ろした。
男性は12月末までの派遣契約で、本庄市の自動車部品工場で働いていた。10月、派遣元から11月20日での解雇通告を受け、住んでいた寮からも12月20日に退去するよう求められた。派遣元に「他の仕事はないのか」と聞いたが「ない」と言われたという。
連日、ハローワークに通ったが職は見つからず、退寮後は、インターネットカフェなどを転々とした。
所持金も減り、24日に電話相談で現状を訴えた。25日、相談の主催団体の一つ「首都圏生活保護支援法律家ネットワーク」の猪股正弁護士と、さいたま市に生活保護を申請。敷金は後払いで入れるアパートが同市にあり、ホームレス生活の男性(55)とそれぞれ入居することになった。
猪股弁護士から「今、派遣ではない仕事を探すのは大変だよ」と声をかけられたが、男性は「もう派遣は嫌。正社員で働ける仕事を、なんとか見つけます」と誓った。
◇「セーフティーネット重要」反貧困ネット 湯浅事務局長に聞く
電話相談を主催した反貧困ネットワークの湯浅誠事務局長に、雇用を取り巻く現状を聞いた。
――多くの人から電話相談があったが?
つながらない人の方が多く、その人たちをどうするかが問題。命は誰が支えるか。それは政治の責任だと思う。
――本来は行政がこうした相談を受け止めるべきでは?
ハローワークに行ったり連絡したりして、雇用促進住宅の入居が決定したのは1割ほどだった。9割は足を運んだりしても、たどりつけない。逆に私たちには、すべてを受け止めきれない数のアクセスがある。行政がやるべきことをやっていれば、こちらとのバランスが調整されるのだが。
――現状を打開するには?
政治が変わらないといけない。政治が変わるためには市民が変わらないといけない。重要なのは、セーフティーネット。セーフティーネットをしっかり張れば転職できるなど世の中がうまく回る。
毎日新聞2008年12月27日付けに「生活危機:08世界不況 生活苦深刻、悲鳴2万件 貧困電話相談で浮き彫り」の記事が掲載されました。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081227ddm041040059000c.html
貧困問題に取り組む反貧困ネットワークなど16団体が24日に全国20カ所で実施した電話相談に、14時間で約1700件もの相談が寄せられた。対応できなかった電話も含めるとかかってきた電話は約2万件に達し、日本のあちこちで生活苦への悲鳴が上がっている現状が浮き彫りになった。参加団体は26日、内閣府に生活保護などセーフティーネットの強化を要請した。【清水健二、東海林智】
◇契約打ち切り、所持金数十円「派遣は二度とやらない」
相談は「派遣切り」で住居を喪失した状態にある人や生活困窮者のために実施。生活保護関連が447件、解雇など労働関連が402件、多重債務関連が254件だった。年齢別では40代が235件とトップで、50代(188件)、30代(177件)が続いた。反貧困ネットの湯浅誠事務局長は「30代など働き盛りの方からの相談が多く、非常事態だと感じる」と話す。
「所持金が数十円しかない」など相談は切実だ。埼玉県内の自動車部品メーカーの派遣契約を11月20日に打ち切られた男性(44)が電話した時の所持金は1500円余り。ネットカフェでの宿泊も、あと1泊できるかどうかだった。
10月下旬、1年半続けた派遣の打ち切りを告げられた。職は見つからず、行く先もないまま12月20日に寮を退去させられ、「真っ暗闇のトンネルに入れられたような気分」。訪れたハローワークで24日、職員が新聞記事を見せて電話相談を勧めた。翌日に弁護士同行で、さいたま市に生活保護を申請。アパートの入居契約もでき、やっと希望が持てた。
20代は出身地の北海道で車のディーラーをしていたが、親の入院費が賄えず退職。職を何度か変え、3年前に東京に来た。実家に戻っても、仕事があるとは思えない。新たな職を見つけ、生活が安定するまでは帰省しないと決めている。「でも、人を使い捨てにする派遣は二度とやらない」。力を込めた言葉に悔しさがにじんだ。
毎日新聞 2008年12月27日 東京朝刊
毎日新聞埼玉版2008年12月27日付けに「年越し電話相談会」の記事が掲載されました。
http://mainichi.jp/area/saitama/news/20081227ddlk11040263000c.html
「もう死にたいと思っている」。景気悪化で非正規社員の雇い止めなどが相次ぐ現状を受け、弁護士らが無料で相談に応じる「明るいクリスマスと正月を!年越し電話相談会」(首都圏生活保護支援法律家ネットワークなど主催)が24日、全国17カ所であった。埼玉会場(さいたま市浦和区高砂)には409件もの相談が寄せられ、明日の生活さえままならない実態が浮き彫りになった。
内容は労働関係が165件で最も多く、生活保護に関する相談が143件で続いた。年齢層は、把握できた範囲では40代が最多で3割以上を占めた。
車のエアコン製造工場に勤めていた派遣労働者の男性(42)は、12月に入って突然雇い止めを宣告され、2日後には派遣会社の寮を追い出された。所持金は数千円。ネットカフェの利用料も惜しく、同じように職を失った仲間数人でカップ酒を分け合い、マンションの陰で寒さをしのぎながら電話をかけてきた。「死にたい」ともらす男性に、受話器を握った「反貧困ネットワーク」埼玉代表の川井理砂子弁護士は「少しだけでも話を聞いて」と懸命に打開策を提示したという。【飼手勇介】
毎日新聞 2008年12月27日 地方版
読売新聞2008年12月24日付け朝刊に「解雇・派遣切りの実態と政府対応」が掲載されました。
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東京新聞2008年12月25日付け朝刊に「政府の住宅対策に関する記事」が掲載されました。
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