『ハウジングプア―住まいの貧困と向きあう』(稲葉剛著)が発売されました
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2009-10-24 10:34
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『ハウジングプア―住まいの貧困と向きあう』(稲葉剛著)が発売されました『ハウジングプア―住まいの貧困と向きあう』
著者 稲葉剛
(NPO法人自立生活サポートセンター・もやい代表理事、住まいの貧困に取り組むネットワーク世話人)
「ホームレス」「ネットカフェ難民」「派遣切り」「たまゆら火災」「宿泊所ビジネス」「追い出し屋」・・・
みんな「住まいの貧困」が問題だ!
ワーキングプア(働いても働いても抜け出せない貧困)と手をたずさえて、ハウジングプア(住まいの貧困)が、生活を不安定で困難なものにしている。
〈もやい〉で生活困窮者の自立支援を続ける筆者が、ハウジングプアという概念で貧困の実態をとらえ、解決への展望を語る。
*この本の印税の一部は住まいの貧困に取り組む活動に使われます。
詳細・ご注文は下記をご覧ください。
http://yamabuki-syoten.net/main.html
*10月30日(金)に東京堂(神保町)、11月5日(木)にジュンク堂(池袋)にて、稲葉剛と冨樫匡孝(<もやい>スタッフ)によるトークセッションが開催されます。
詳細は下記をご覧ください。
くわしくはブログをご覧ください
イラストレイターの松本春野さんのウェブサイト
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2009-5-26 18:58
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もやいのお礼状や発行物に素敵なイラストを提供していただいている松本春野さんがウェブサイトを開設されました。
どこか懐かしく温かいイラストを描かれる素敵なイラスト屋さんです
もやいよりリンクさせていただいているので、少し立ち寄ってみてくださいませ。
http://www.moyai.net/modules/mylinks/visit.php?cid=8&lid;=83
松本春野WEBSITE
http://www.harunomatsumoto.com/
第一回スマイルサービス訴訟
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2008-12-17 17:14
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12月17日東京地裁631号法廷にて「スマイルサービス訴訟」の第一回公判が行われました。一回目ということもあり、原告側口頭弁論と争点整理の法廷でした。
原告団代表の2名のお話と、弁護士による提訴するまでに至る経緯を話され、都合20分ほどの法廷でした。
スマイルサービス訴訟の概略は以下の通りです。
スマイルサービスは、敷金ゼロ、礼金ゼロ、保証人も不要とした物件を提供している不動産会社です。
反面、敷・礼"0"を建前に家賃滞納者に対して違法な追い立て行為を行う不動産会社でもあります。
そのスマイルサービスの違法行為を受けた契約者が被害に対する損害賠償と精神的な苦痛に対する慰謝料の請求を求めた裁判です。
経緯を聞いているとその異常性に目を張るものがありました。
たとえば、滞納した数日で鍵を何の連絡もなく変えられていたり、滞納分を徴収するのに寝込みの最中に無断で鍵をあけ不法に侵入して”利用料徴収”をかけたり、入居者の荷物や家具を了解なく撤去廃棄してしまったりと、明らかに異常な行為を行っているとのことです。
本来なら借地借家法に入居者は守られ、暴挙が行えないように法の目があるのですが
スマイルサービスは施設付鍵利用権という賃貸借契約ではないという建前を元にこういう行為を行っていました。
被害を受けていた方の話を聞くとその辛さがよくわかりました。
職場から帰ると部屋の鍵を変えられ、行くあてもなくネットカフェで一夜を過ごす人。
72歳の母親を抱え、親子で何の前触れもなく荷物の中の通帳や印鑑すら置き去りのまま、放り出されてしまった方。
入居しやすい物件ということもあり、利用者は貧困状態にある方がほとんどです。
被告側は、敷礼0の入りやすい物件を提供することで貧困層を救っている、社会的企業だという内容の答弁書を制作して臨まれてきましたが。その行為と照らし合わせると、正直あきれるしかない印象でした。原告にすれば憤りを隠せないものだったでしょう。
閉廷後、原告代表の宇都宮健児弁護士がコメントを挟みました。
そのなかで、この手の悪質な貧困層に取り入る企業を生む原因は、政府による施策がまったく機能していないからである。住宅の問題にしろサラ金の問題にしろ、その前に公のセイフティーネットがあれば、そんな会社を利用しなくても済むではないか。
次回の裁判は2009年2月18日午後1時20分より631号法廷で行われます。
今回さらに4名の追加訴訟も加わり計9人による原告団になりました。
貧困層をターゲットにした「貧困ビジネス」に対する裁判を皆さんで傍聴願えればと思います。
いかに、スマイルサービス訴訟をバックアップしている団体をご紹介します
・スマイルサービス闘争を支援する会
http://ameblo.jp/knockout-smile/
・借家人権利向上委員会
http://ameblo.jp/syakuyanin-kenrikojoi/
閑話休題
開廷前に裁判所前で国労の方が同日の他の裁判のアピールを行っていました。
その中、スマイルサービス訴訟の一団を「がんばれ」と励ましながら送る場面があり
寒空の雨の中で、温まるシーンを垣間見ました。これも繋がる「反貧困」の効果なのでしょうか?
(Admin)
誰にも「雇用の調整弁」役を押し付けてはならない
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2008-12-10 18:32
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最近、<もやい>には「派遣切り」により仕事と住まいを失った人の相談が相次いでいます。厚生労働省の統計によると、来年3月までに3万人以上の非正規雇用労働者が職を失うと言います。
「少なくとも3万人」というわけですから、実際にはそれを大きく上回る可能性もあるわけです。
新宿など各地で行われている炊き出しでも、集まる野宿者の数が増えていることが報告されています。
毎週炊き出しをするたびに人数が増えていた、バブル崩壊後の1994年頃の状況を彷彿とさせます。
当時、私は仕事を失い、路上へと放り出された日雇い労働者から「俺たちは雇用の調整弁だから」という言葉を何度も聞きました。
バブル崩壊後に「雇用の調整弁」とされた人たちは日雇い労働者だけではありません。
バブル経済全盛期には、イラン、バングラデシュ、パキスタンなどアジア各国から出稼ぎの労働者が日本に来て、低賃金の労働をしていましたが、バブルがはじけたら、その人たちは真っ先に「超過滞在」ということで強制送還されました。
その代わりの労働力として、コントロールのしやすい「外国人研修制度」が利用され、来日した日系ブラジル人など中南米出身の労働者が時給300〜400円で仕事をさせられる、という状況が問題になりました。
「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」が広く知られるようになる2、3年前までは、国内の貧困問題は解決済みの問題だと考えられていました。
実際には当時も「雇用の調整弁」役にされる人はいたのですが、多くの場合、差別や偏見に阻まれて「貧困」が見えにくくなっていたのだと思います。
仕事を失って野宿を強いられる日雇い労働者は「好きで野宿をやっている」と言われました。
低賃金で働く外国人は「国に帰ればいいのではないか」と言われました。
パート・アルバイトの仕事にしか就けないシングルマザーは「離婚しなければ良かったではないか」と言われました。
私たちの社会はこうした人たちに「雇用の調整弁」役を押し付けることで、貧困問題から目をそらしてきました。
そしてバブル経済後、企業がリストラを進め、正規雇用を非正規雇用に置き換えたことは、さらに「雇用の調整弁」役を押し付けられる人を増やしました。
1999年、2004年と派遣労働を導入できる業種を拡大してきたのは、まさに今の事態のためではなかったのかと、思わずにはいられません。
今まさに「雇用の調整弁」とされた人々が路頭に迷う状況に歯止めをかけると同時に、今まで見ようとしなかった問題を直視することが私たちに求められているのだと思います。(いなば)
埒外の死生観?
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2008-9-9 14:00
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昼の散歩がてらでの出来事。都会にもこんなステキな花壇がっそんな自然に満ちたスポットがある。
ちょうど真ん中に背丈を越すひまわりがあり菊やその他(花に詳しくないんで)の種類が色彩に満ちた花をつけて花壇いっぱいにあふれていた。
僕は、しばらくそこに佇んでいた。
雲は綿飴のようにモクモクとしていた。
そこからお天道様が顔を出すと陽の光が射し込み、それを待ちわびたかのように色鮮やかに映えて魅せる花々。
そこへ、昆虫たちが群がっていた。
とにかく蝶がやたらと多い。
紋白、アゲハ、黄アゲハ、しじみ蝶・・。
パタパタと舞っては花に止まりパタパタと移っては、止まるの繰り返し。
熊ん蜂もやってきた。
大きな体を揺する様に飛び花に止まると、その重さに耐えかねた草花が斜めにしなる。ちょっと笑える光景。
海老丸と呼ばれる蜂?もいた。
(実は蜂科の虫ではないらしい)だけど、やることはみんな同じ。
花から花へと移り蜜で胃袋を満たすのが目的。
絶え間なく生存に尽くすその行為は何だか微笑ましい。
「昆虫の日常」という、別の世界に入り込んで見る。
すると、その光景はまるで平和を象徴する楽園のように思えて何だか癒されてしまった。
その内、ふと目に留まったのが傷付いた、一匹のしじみ蝶。
羽の端が破れてヨレヨレだった。
でも、動きが鈍るということはなく元気。
他の蝶と混じって、生存行為に尽くしていた。
多分、交尾も既に済ませた年長の蝶ではないだろうか。
余生を本能の赴くまま静かに過ごしている。
そう見えた。そして、その場を去った自分。
夕方になると空はどんよりとした曇りに変わった。
再び、その花壇に立ち寄ってみた。
菊の花を眺めていたら、何とさっき観察していた、年長のしじみ蝶が居るではないか。
茎と葉の付け根の間に支えられる様にして死んでいた。
その横たえる姿を見て、思わず手のひらに取って見た。
傷のある羽が痛々しいが、まるで抜け殻のような状態。
何だか衝撃を帯びた印象になってしまった。
だって、ついさっきまで、生きている様をこの目で確かめていたのだから。今はもう死んでしまって動かない。
このギャップに、今更ながら驚いたのだ。
僕の仲間の死から、日が浅いせいもあったかも知れない。
亡骸を元の場所に戻してあげた。
横たわっていた茎と葉の付け根は、このしじみ蝶にとって、死に場所となる証。
誰も見取ることなく、それを悲しむ仲間もいなかった。ましては、その蝶の家族が連れ添っている訳でもないのだ。
時間のままに、蝶の死がその痕跡すら残さずに風化されてゆくだけ。
それが昆虫界に生きる定めとでも言うべきか。
人間とはちがう。
人間の場合は、これまで人生に関わってきた親族の身内から仲間まで一堂に会してその人の死を悼み、悲しんでくれる。
壇を設けて葬式を開き、人の死を荘厳な形にして見送る。
とは言え、このしじみ蝶の様に誰にも見送られることなく無縁仏に葬られてしまう、そんな人が世の中にはいるという悲しい現実も知っている。
この世の生けとし生けるモノすべてが尊い生命。
その見地からすれば蝶の死、人間の死。この両者のはざ間にあるモノは一体、何だろうか?僕は、そこから先へ思考を巡らすことが出来なかった。
今の自分にはその答えを引き出せうる人生経験を持っていないからだ。
自分に分かる事はしじみ蝶の死が、荼毘にふされることなく自然に還るということくらい。
この先、蟻の餌となるのかそのまま土に埋もれ微生物が処理するのか「自然の摂理」という言葉で片付けられる想像の域を出ないのである。
その答えは何なのか。
誰か教えて欲しい。
(七分丈)
新人ボランティア研修を行いました
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2008-4-15 7:30
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普段は静かな土曜日の夜のこもれび荘に、2007年度からもやいに関わり始めた新人ボランティア十数名が集まって、新人研修を行いました。一回目の今日は、湯浅さんを囲んで、湯浅さんからボランティアに伝えたいことについて話してもらい、その後ボランティアネットワーク作りについて話し合いました。
湯浅さんからは、もやいに飛び込んでくる様々な相談に対し、個別に向き合うだけでなく、問題の背景に目をむけ、構造的な視点を持つことで、疲れて燃え尽きてしまわずに続けていけるということ、勇気を振り絞って声を上げた当事者が叩かれてしまいますます立場が弱くなって声をあげられなくなるような後ろ向きのサイクルではなく、発言した当時者が支持されどんどん発言できる受け皿を増やし立場を強くしていけるような前向きのサイクルに反転させていく必要があること、貧困問題に対する社会全体の認識を変えていく必要があることなどなど、普段個別に関わることの多い私たちに、マクロな視点を持つことの必要性を伝えてくれました。
みんなそれぞれ普段疑問に思っていることを質問して確認しあいながら、わいわい話がすすみました。
また、もやいを卒業していった先輩ボランティアから現在関わっているボランティアまで含めたボランティア同士のネットワークを作ろう、というテーマでは、まず、現在関わっている自分たちがもやいを離れることになったらどう感じるかということについて考えました。
「社会との差に戸惑いを感じる」「さみしい」「離れる気が無い」「自立」「居場所が無くなる」「感情のup downがある」「社会問題に対する関心が薄れる」「気持ちの上ではつながっている」「変わらない」「後はヨロシク!」「現役ボランティアとの意識の差を感じるようになる」「敷居が高くなる」
など、それぞれの思いを出し合いました。そこから、離れた後も活動の内容を知ることが出来たらいいなということや、自分が出来る範囲で手伝えることがあったらいいこと、ボランティア同士の交流・イベント協力・カンパ・助成金集め・情報提供などなど、様々なアイディアが飛び交いました。
終了後は皆で恒例の飲み会へ。
「もやい」という媒介がなかったら、出会うことがなかった人たちと、「もやい」という窓から世の中を見つめなおし、自分を見つめなおしながら社会を学び、それぞれのつながり方で、社会と関わっていく。
なんだかひとつの学校のような「もやい」を、卒業した人も入学した人も、もう一回り大きな輪で「もやい」を取り囲むようなネットワークが出来ていったらよいなあと感じた夜でした。
(めげぞう)
自由の森学園さんの「貧困」に対する総合学習のページとリンクしました
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2008-4-3 16:05
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自由の森学園さんの有志で作った、「貧困」に関するレポートのページとリンクしました。なかなかシンプルにまとまっていて、軽量でちゃんと基本を踏襲したいいページ構成です。
内容も、大人の目からは見えない視点を垣間見させてくれます。
一度ご覧になってはいかがでしょう!
http://www.moyai.net/modules/mylinks/visit.php?cid=8&lid;=80
2008年春・新人スタッフ自己紹介(『おもやい通信』2008年春号より)
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2008-4-2 19:16
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ボランティア体験記http://www.moyai.net/modules/m1/index.php?id=12&tmid;=28
はじめまして。初めてここ<もやい>にきてから数ヶ月が経ちました。
私は多分、人よりちょっと落ち込みやすく、人よりちょっと考え込む時間が長いです。
そして考えすぎて動けなくなることがよくあります。
HPを見て、ボランティア講座があることを知りました。でも。。。
8月のボランティア講座にせっかく参加したのにもかかわらず、ボランティア経験のない素人の私はすっかり後ろ向きになってしまい、その後、ここ<もやい>に来ることができませんでした。
一人で何かをすることは本当に難しい。もう一度勇気を出して、9月のボランティア講座に参加し、それ以降、本当に少ない回数ですが、通わせていただいています。
居場所について思うところがあります。
夜の遅い時間に街を徘徊している子どもや座り込んでいる若い人たちがたくさんいます。そこには様々な理由があるのだと思います。だけれど、みんなにとって安心して居られる場所が必ずどこかにあってほしいと願います。
昼間は昼間で大変です。道を歩いているとちょっと立ち止まって、ということが本当に難しい。休むことなく目的地に向かって進まなければいけないような気持ち。目的地がどこなのかもわからないままです。
ここは、そんな人の流れをそれでいいのかと問いかけてくれるような場所だと私は思っています。そして、安心を与えてくれる場所だとも。
なかなかお手伝いができず、もどかしい日々を過ごしていますが、自分にできることを探してゆきたいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。(ならき)
昨年暮れにやってきて、約2ヶ月。まるで昔からそこにいたような顔で、お茶を注いだり電話に出たり…もやいで図々しい世話焼きを見かけたら、たぶん私だと思ってください。
相談に同席するたび、自分の偏見に気づきます。生活がうまくいっていない人の多くは、“世の中の基準”に合わない部分を持っている。それを見て、甘えている・非常識だ・空気が読めていない・頑張りが足りない・危険だetc.、心の中で突き放そうとする自分に気づきます。そして、同じ理由で誰かから突き放されてしまわないかと怖くて、自分をぎゅうぎゅう縛っていたことにも。
“世の中の基準”は、ここでは、たいしたことじゃない。
ひとつひとつ、こわれていく偏見。“人間”に近づく心。なんとなく見守ってくれるスタッフさん達。私は安心して、図々しく振舞っています。(こっきゅん)
つながりを回復するための「振り返り」
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2008-3-1 19:32
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<もやい>では現在、「振り返り」の話し合いを続けています。各メンバーがそれぞれ忙しい中、なかなか時間をとるのが難しいのですが、「これだけは」という感じで、1回2-3時間の「振り返り」の時間を連続して確保しています。
今回の「振り返り」は、最終的には来年度の予算や体制を決めていくのが目的ですが、その前に各メンバーがこの一年間にやってきたことを振り返って共有しよう、ということを土台にしています。
この一年間というのは、<もやい>にとって大きな変化のあった一年でした。
「ネットカフェ難民」、「ワーキングプア」が流行語となり、貧困問題が社会的政治的に注目を浴びたことは活動の大きな成果でしたが、実は内部では、押し寄せる取材陣や個別相談の対応にてんてこ舞いでした。
外から見た団体のイメージと内側の実情の差に悩んだり、個々のメンバーがそれぞれ活動を広げていった結果、内部でのコミュニケーションが不足したり、ということもありました。
今回の「振り返り」では、まず各メンバーがそれぞれ<もやい>の現状に何を感じ、これからどこに向かいたいと思っているのかを率直に出そう、というところからスタートしています。
そのために、一人ひとりが以下の項目をまとめた「個人シート」を書くことから始めました。
・『私』が〈もやい〉で感じていること
・『私』が〈もやい〉でやっていること
・私が『〈もやい〉以外』でやっていること
・『私以外』のみんなが〈もやい〉でやっていること
・今はやれていないけど、『私』が今後やりたいこと
この間、各メンバーが「個人シート」をもとに自分の想いを発表しあうことを続けてきましたが、それによって、忙しさの中で見えにくくなっていた各人の立ち位置や思い入れを再確認できたように感じます。
もう一つ、私が自分の「個人シート」を作ったり、他のメンバーの話を聞く中で感じたことがあります。
それは、昨年春の学習会で僧侶の神仁さんが話されていた「自分とのつながり」ということです。
http://www.moyai.net/modules/weblog/details.php?blog_id=135
神仁さんはこの時、「つながり」と言うと「自然とのつながり」や「他人とのつながり」というのがよく言われるが、「自分とのつながり」というのもあるのではないか、という話をされました。
そして、こういう対人援助的な活動をしている人は「ほんとうの自分」とつながっていないとバーンアウト(燃え尽きる)危険性がある、と言われたのが印象に残りました。
自分自身の活動を振り返る中で感じたのは、「振り返り」には、他のメンバーとの間のつながりを確認するだけでなく、日々の活動の中で忘れがちになる自分自身の初心やこだわりを形にすることで、「ほんとうの自分」とのつながりを結びなおす効果があるのではないか、ということでした。
さて、これから先の議論は予算などの現実的な要素がからむので難航が予想されるのですが、「振り返り」を通して自分や他人とのつながりを確認できたことだけでも大きな意味があったと思うのです。
(いなば)
来週25日、26日NHK教育テレビ「ハートをつなごう」に出演します
カテゴリ : スタッフのつぶやき 投稿日時 : 2008-2-22 21:00
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来週25日、26日NHK教育テレビ「ハートをつなごう」に出演します。僕は〈もやい〉の中でも、10代・20代の若者当事者と向き合う時間がおそらく一番長い。なんだかんだで、彼らと向き合うのが好きなのだと思う。と、いいつつ、やり過ぎて体調を崩したりもしたので、気をつけないといけないが。
彼らを見ていて感じることはたくさんあるけれども、最近とくに思うのは彼らが圧倒的に「教えられていない」という事実だ。それは単純にモノを知らない、ということとは少し違うように思う。
例えば、あいさつがほんとに出来なかったり、人との接し方に関するごく基本的なルールをほとんど守れない青年がいたとする。「おまえはその歳でそんなこともできないのか!」と、眉をひそめて叱りつけるのは、それほど難しくはない。ないが、そういうことで変われる人間は実はほとんどいないし、変わったところでその理由は「怒られるから」以上にはならない。ならばと、まずはよくよく本人の話を聞いてみると、「教えられていない」ということがわかる。
この「教えられていない」ということには、単にほったらかされていたとか、教えてくれる人がそもそも誰もいなかったとか、そういう「まったく知らない」というレベルもあり得るし、教えられたことは自体はあるんだけれど、その教え方が不正確で、本人にはかなり違ったニュアンスで伝わってしまっている、という状態もあり得る。
そうした場合、本人としては、独自の解釈をして生きていくしかない。例えば先の例で言えば、教えてくれる人が全くいなかったので、“あいさつをする”という概念自体知らないだとか、教え方が不正確だったので「あいさつというのは皆ただなんとなくやっているだけで、たいして重要ではない。だからしない」と思っている、などだ。
本当は彼らの近くにいる誰かが、彼らのそういう状態に気がついて、その誤解を解いたり、一から教えたりしてあげられれば、彼らが社会に順応するのに必要な苦労は少なくなったはずだ。不幸にしてそれが、家庭でも、あるいは学校でもできなくて、そのまま社会に出されてしまい、そこで社会のきつい洗礼を受けることになる。それが直接貧困状態へつながることはまれだが、それでも社会の端の方へ追いやる圧力のひとつになることは間違いない。
人間は、本能に自分に必要なことがすべて刻まれているような生き物ではない。「そんなものはある程度の年齢になったら自然にわかるもんだ」というのは、実は最低限のものがそろっている時にしか当てはまらない言い分なんじゃないか、と彼らと見ていて思うのだ。そのすべてを僕や、もやいの人間が埋めるなんてことは到底無理なんだけど(僕自身そんなに社会のルールがわかっているわけでもないし)、僕はまあ、じたばたしている。
そんな模様が見れる番組になっていると思います。一緒に出ている彼の語りもなかなか素晴らしいです。是非ご覧ください。
放送日時 NHK教育テレビ
2月25日(月)〜2月26日(火) 午後8:00〜8:29
再放送 3月3日(月)〜3月4日(火) 午後1:20〜1:49
もやいの動き(記事)
- もやい
- サロンにっき
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- 野宿者問題
- ハウジン グプア問題
- 労働問題
- 書 評・映画評
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- イベント情報(一覧)
イベント情報
7/30・31「私」のままで生きてもいいよ。 ― 私たちが伝えたいこと(2010/07/30)
7/31 ベグライテンの会「自殺と貧困から見えてくる日本」(2010/07/04)
7/24-25 Weフォーラム2010 in よこはま(2010/07/04)
港区立男女平等参画センター(リーブラ) イベントのお知らせ(2010/06/26)
『日本ボランティア学会 2010年年次大会』のお知らせ(2010/06/19)
6/23-29 千代田区役所での企画展示でサロンが紹介されます(2010/06/12)
Weフォーラム2010 in よこはま(2010/06/09)